無塩せきガソリン

SALT-FREE GASOLINE

これから「ノーブラ」の話をしよう

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ブラジャーをしない、という選択

みなさんはブラジャー、つけていますか?

 

いきなりメチャクチャなことを言って申し訳ない。

しかし胸の大小にかかわらず、女性は必ずブラジャーを付けなければならないという極論が当たり前のようにまかり通っている現代社会に、俺は異を唱えたい。別に、ブラジャーを付けている人のほうが社会貢献度が高いとか、ノーブラの場合に重刑犯罪率が高くなるとか、統計的な結果が出ているわけではない。ブラジャーをつけている方が良く、ノーブラは悪いとする根拠は何一つないのだ。

もちろん、おっぱいの形をきれいに保ちたいとか、ブラジャー自体やその着用感が好きという場合に、それを無理やり剥ぎ取ってナニしようという気は一切ない。基本的にその人の胸の自由はその人によるものだ

 

俺が疑問に思うのは「ちくびがポツポツと浮き出ているのはそんなに恥ずかしいことなのか?」ということだ。

更に踏み込めば、「お前もちくびがポツポツと浮き出ていることを恥ずかしがれ!」という無言の同調圧力がどこかで働いている気がしてならない。

 

しかも最近では男性までが乳首透け問題に頭を捻っている。雑誌を開けばどの色のシャツが透けにくいかが丁寧に図解・解説されており、レビューサイトにはどの程度の厚みがあれば透けにくいかが丁寧に試着・実演されており、商品それ自体もどれくらい透けにくいかを押し・売りしてくる。

挙句の果てにメンズトレンドでは必殺Tシャツ2枚重ねによって乳首を衆目から完全ガードするライフハックが大流行だ。このままでは数年前にギャグとして消費されていたメンズブラが満を持して再来するのも時間の問題である。

 

それでいいのか?

乳首はそんなに隠さなきゃいけないものなのか?

 

何億年という進化の末にたどり着いた「人体」というデザインを、ブラジャーという生まれてたかだか100年程度の人間の浅知恵で覆い隠してしまうのは間違っていると言わざるを得ない。

ブラジャーはあくまで選択肢の一つなのだ。

ノーブラを選択することが尊重され推奨される世の中になることを、俺は切に願っている。 

 

 なぜノーブラは恥ずかしいこととされているのか

男性要因

ノーブラであることが恥ずかしいと感じる原因は「ラッキースケベ」と「ゲスゴシップ」だ。

 

人間である以上、誰だってノーブラになりたいときもあるし、反対に不本意な状況で乳首を晒してしまう時もある。

男性はそれらの状況をどう処理するのか、どう反応するのかということを義務付けられている。しかし残念なことに、多くの男性はそういった局面で「なんかスケベなことが起きている」として消費することを、長年かけて諸先輩方から教わってきてしまったのだ。いわゆるラッキースケベである。

しかもこのラッキースケベを映像や画像としてメディアに流通させることで、不可逆的な状況であったはずのラッキースケベを第三者が副次的に経験できるようになった。こうしたメディアは男性諸君から重宝され、何度生まれ変わっても目にすることができないであろう、うらやましい状況(うらやまシチュエーション)としての美女のお宝映像・画像をスマホ1つで擬似的に追体験できるようになった。いわゆるゲスゴシップである。

  

これらが双方向に作用した結果、男性はうらやまシチュエーションを求めてゲスゴシップを回遊し、そのニーズに答えるべくラッキースケベは日々記録されるようになった。

そしていつしかゲスゴシップに写るもの全てがラッキースケベであるといった認知の歪み・逆転現象が起こり始める。

 

この逆転現象が実社会まで侵食し、そういう状況を誰しもがラッキースケベと認識し始める時、一部の女性はその状況を巧みに利用して男性の視線を釘付けにし、それ以外の女性はその状況を発生させまいと躍起になる。

わかりやすい例でいうと、下着が透けないような衣類が、それ自体を目的として発売されたりするようなことだ。

 

 これは男性が女性をモノ扱いすることで消費しているとか、肖像権的にどうなのかとか削除する権利やリベンジポルノがどうだとかいらん論争を生みがちなので、そういう誤解がないようあえて一言で言ってしまうと、「男がよだれを垂らさんばかりに欲しがるから女がキモがっている」ということになる。

 

男、または女性愛者はラッキースケベ的状況に遭遇した際、もっとスマートに、涼しい顔で対応していく必要がある。悔い改めよう。

 

女性要因

女性がスケベを餌に男の視線を釘付けにし、同コミュニティの女性からヘイトを集めてしまうというのは、よく遭遇する状況だろう。オタサーの姫が同グループに二人以上存在しない理由だ。この抑止力を無視して男の独占を強行すると、サークルクラッシャーへとクラスアップする。そういう色々と旺盛な女性は個人的に応援したい。がんばれ。

 

なので女性のファッションは非常に気を使う、らしい。肌をどこまで見せるか、どこまで甘くしてもいいか、自分のテイストをどこまで入れていくか、そういうことをコミュニティやシチュエーション別で考えた上でどういう服を着るか選んでいかなければならない、らしい。大変だ。もちろんそういうところで一人だけノーブラでいると、学級委員長気質のまとめ役が全力でやめさせるだろう。というかそういうつまんねーリーダー格が日頃から風紀を取り締まっているので、取り巻きは萎縮してノーブラという発想にすら至らないだろう。

 

妙齢の女性が、若い女性がハツラツとしているのをよく思わないのも同じ理屈からだろう。誤解を恐れずに言えば「人がいい思いをしているのが気に食わない」ということだ。

 

ほんとうはそんなやつの言うことなんか聞かなくていいのに。

 

ファッションとしてのノーブラについて一度しっかり考えてみるべきだ

乳首は隠すほどのものなのかと言うのが根源的な問いだ。各性器のように見るからにエゲツない造形はしていないし、そこまでいやらしさもない。むしろかわいらしさや愛らしさを感じる。

百歩譲って乳首をいやらしいものだと仮定しよう。だとしても、衣服の上からその存在が確認できることに何の問題があるのか。

 

大体、授乳をする際に限って乳首を衆目にさらしてよいという不文律がある以上、乳首が猥褻であると定義づけるのは不可能なのだ。どうしても乳首を出していく姿勢が許せないというのなら、各性器と同じように、衆目に晒した時点で一発アウトブタ箱直行という世論を作るのが先だ。

 

乳首をファッションの表現性として認めていくこと、その人の美しい部位としてアピールすることの妥当性がここにある。乳首は、髪の毛や目や口や筋肉や肌と同様に、ただの体の一部なのだ。

その造形がきれいなことを隠す必要なんてなくて、むしろアピールとして大いに活用するべきだ。足がきれいな人は足を出し、筋肉が大きな人はタンクトップを着て、乳首がきれいな人はブラジャーをしない。何の問題があるというのか。

 

ノーブラに向き合う

例えば欧米の女性のフェミニズム運動や、一部の国の女性がモノのように不当に扱われていることを引き合いに出して、「女性の社会進出のためには乳首の解放が必要だ」などと言うのは簡単だ。比べるものがないと何が正しいのかわからないからだ。

しかしここは一旦そういう外界の情報はシャットアウトして、あらためて心から自分自身に問いかけてほしい。「乳首、出したくない?」と。

 

くだらない同調圧力や、一部の気持ちの悪い視線など無視して、自分の表現、自分の美点としておおいにアピールしていくべきだ。

 

そしてノーブラを愛するものは「わー!ノーブラじゃん!!ノーブラノーブラヤッホッホー!ノーブラヤッホッホー!」と狂喜乱舞するのをぐっとこらえて、「へえ、いいじゃん、かわいいじゃん」と、その髪型いいね程度の大人な対応を心がけていくべきだ。

 

ノーブラという選択に誇りを持ち、堂々と胸を張るべきだ。

 

俺はそういう自分に誇りを持っている女性が...え?なに?いやいや違うから。ノーブラ見れると嬉しいとかそういうことじゃないから。あくまで俺は人体のデザインとして...うん、嬉しいか嬉しくないかで言うと嬉しいけどさ。いや、だからノーブラを強制しているわけではないんだ。そう、同調圧力からの解放を...ね?そういうこと。乳首あったほうがかわいいなーってそういう時あるだろ?え?エロい気持ち?あるかないかで言えばちょっとはあるけど今はそういう話はしていないから...自分に自信のある人が好きってだけで...いや、嘘。ごめんごめん。そりゃエロい気持ちはあるっちゃあるよ。だってオスだぜ?しょうがねえだろ。でもミニスカに目が泳いじゃうくらいのライトなもんだからさ。そんな目をひん剥いて欲しがるってわけじゃないから...いや、ごめん、そういうつもりで言ったんじゃなくて...えーっとだから胸の谷間みたいなファッション性の話であって...いや、え、どこ行くの?ちょっと?嘘だって。おい、真に受けんなって!ジョークだから!おーい!全部嘘だから!マジで!

 

参考:

store.wacoal.jp

news.yahoo.co.jp