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無塩せきガソリン

シーユーインザネクストライフ

『夜は短し歩けよ乙女』を見たが(ネタバレ無し)

※本記事にネタバレはないけど、多分批判的な内容になっているので未見の人とか映画を楽しんだという人は見ないほうがいいと思う。

 

 

かつて俺が大学生だった頃四畳半神話大系というアニメが放映されており、当時つるんでいたやつらは俺を含めみんなハマっていた。とある先輩のことを勝手に師匠認定したり人のアパートの表札を「小津」と書き換えて怒られたり四畳半イズムに傾倒した不毛な大学生活をエンジョイしていた。巧みな表現と異様なテンポで畳み掛ける物語には鬱屈した大学生に対してそれだけの影響力があったのだ。(ファイトクラブを見て赤い革ジャンを買ったりプラダを着た悪魔を見た瞬間から就職活動をし始めたので単にバカであるということは否定できない)森見登美彦氏の小説も好んで読み、四畳半イズムが色濃くあった『夜は短し歩けよ乙女』に関しても俺たちは口を揃えてこう言っていた。「夜は短し〜も湯浅タッチでアニメ化しねーかな」と。

 

アニメ化した。四畳半〜のアニメ放映から数えると7年間待ったことになる。去年の年末あたりに映画特報があった際、驚愕し予告を何度も見た。期待するだけの信頼があったからだ。ここでいう信頼とは「四畳半〜の熱狂をもう一度我々に!」という身勝手なものであり、マッドマックスファンやスターウォーズファンのめんどくさい感じと似ているかもしれない。「あの頃の、あの感じを、あのまんまでもう一回くれ!」

 

夜は短し〜の公開当日、不安と期待で着席し、予告が終わり、映画が始まってタイトルが出るまでの数分間で俺はわかった。

「あ、これダメな方だ」

 

 俺が四畳半に熱狂していたのは斬新な表現、テンポが生み出すグルーヴ、ろくでもない大学生活、無駄になるであろう未来の大学生活への期待、それらが織りなすちょっとしたむなしさやはかなさだったのだ。

それらが夜は短し〜にはなかった。

いや、ちょっとはあった。最後の数分。最後のシーンは文句なしに面白かった。浅沼監督の十八番、夢と現実の境がなくなるような精神的な映像感。登美彦氏との相性も抜群だ。しかしなんだろう。本当に最後だけ、そしてその最後もフラストレーションや伏線が爆発する…ということではなく、最後だけ違う作品の方向性と間違えてましたみたいな感じだった。最後以外は正直退屈だった。1章ずつのクライマックスも駆け足すぎてあっさりに感じたし、そのおかげで主人公二人にあまり没入できなかった。

紙芝居アニメと言う言葉があるらしいがまさにそんな感じだった。四畳半はその紙芝居のページ数が普通の100倍あり情報量は1000倍くらいあったけど。つまらないシーンに表現を詰め込んで飽きさせないようになっていたのが四畳半だった。

 

この『夜は短し〜』に関して言えば

・登美彦ワールドの映像化

・声優の話題とかのパワー(主に星野源

・イベントを盛り込んだグッズ収集

の要素が強かったように思う。

 

実際エンドロールの瞬間に席を立った人が結構いたが、「テーマも星野源にしろや」という星野源ファンの無言の抗議なのかもしれない。俺はアジカンで本当に良かったと思う。クライマックスからアジカンの流れで多少救われた感はあった。

 

俺が大人になってしまったということかもしれない。大学生がエキサイトするものに大人がいちいち首を突っ込むなと。ターゲットには響いているんだから部外者は入ってくるなと。それならばかつての四畳半主義者はどこへ行けばよいというのか。

 

かつて熱狂の時代を過ごした四畳半イズムへの追悼も込めて、『太陽の塔』を映像化して欲しいと、俺はそう思うのであった。無駄に終わるとわかりながらも期待してしまうのである。

 

太陽の塔 (新潮文庫)

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